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ボクはサッカーのおかげで理系になった。

今週のお題「サッカー」

 


[Soccer] Dribble フットサル今年蹴り納め。今日の相手も若い / kimama_labo

 

2014 FIFAワールドカップが開幕しまして。正直な所、サッカーは苦手だ。まず相手を引きずり倒していいのか悪いのかハッキリしない辺りから、すでに苦手だし、なにより学生時代の片想いのあの娘がサッカー部のマネージャーだったので、なんというかもう、トラウマだ。

 

教室の隅で、誰かが教室に持ってきた『北斗の拳』の単行本を、一コマ一コマ写経のようにトレースしてセリフを入れ替えてはケタケタ笑っていた高校生男子が、この時サッカーについて抱えたトラウマがいかに深かったかはおわかりいただける事と思う。

北斗の拳 (1) (集英社文庫―コミック版)

 さて、そんな風に苦手なもんだから、ドリブルはおろかトラップすらまともにはできない僕だが、一つだけサッカーにまつわる成功体験がある。

 

話は、小学生の時に遡る。

休み時間に校庭へ出てみると、2~3人の友人が何やら地面に置いたボールへ駆け寄っていき、ボールをまたぐ瞬間に左右の足でボールを挟み込んでは、ボールを中空へ足で投げ上げようとしていた。

どうやってもボールは浮かばずに地面へ転がり、「ああ、だめだ。」などと言っては、同じ事を繰り返していた。

 

何事かとしばらく近くで観察していると、会話の中から「ヒールリフト」という単語が聞こえてきた。「ハイヒールのヒールと、スキー場のリフトのリフトだよね、多分。」ぐらいの認識だったと思う。なんとなく皆のやってる事から、何をしようとしているのかはわかった。

 

「ちょっとやってみてもいい?」

 

皆がボールを上げることが出来ず苦戦し疲弊してる頃に、ちょっと聞いてみた。

ちなみに、休み時間にヒールリフトの練習なんかする連中だ。当然、運動能力はそれなりである。かたや僕は、地域の少年野球に所属していたが、ベンチで声出しだけをさせられるほどの運動オンチだ。足も当然遅かった。ご存知だろうが、足の遅い小学生は、小学校カーストで言えば底辺だ。そんな僕がヒールリフトに挑戦してもいいかと聞いてきた。

 

「できるわけないじゃん。」

 

と、言った気がする。少なくともそんな顔をしていた。

それでもボールを渡してくれたので、僕もやってみる事に。

 

この時の僕の頭は、人生で一番回転していたのだと思う。

ボールが宙に浮くためには、下から上に力を掛けてやればいい。となれば、カカトの上にボールを乗せて、カカトを上方向に引き上げればボールは浮くんじゃないの?そしたら、またいだ方の足のカカトに、またいでない方の足でボールを乗せるような回転をかけて……。

 

あっけなくボールが浮いた。

 

その場の全員が「え?」という顔をしていたように思う。

「え?」じゃねーよ。ほら。出来るじゃん、ヒールリフト。もう一度やってみせる。その時は、うまくカカトに乗らなくて、浮き具合は悪かったが、それでも連中のボール挟み込み転がしよりはずっと浮いてる。

 

確か、「なんでおまえが出来るんだよ?」って言った奴が居た気がする。僕は得意になって先ほどの考えを講釈したが、彼らは既に、シパーヒーに蜂起された東インド会社だ。あるいは、下克上を起こされた藩主だ。飼い犬に手を噛まれた飼い主だ。(←ようやく良い例がでてきた)

もうヒールリフト云々よりも、こんな運動オンチが先にヒールリフトを成し遂げてしまった事に対するショックのほうが大きくて、もう本来の目的なんて見失っていたのだろう。聞く耳など無いようで、それ以降もそれまでと同じように挟み転がしを繰り返していた。

 

これが、僕のサッカーに関する、唯一の”良い”記憶だ。そして、僕が「論理的思考」の大切さを実感するに及んだ、生まれてはじめての出来事だった。「ヒールリフトは出来る。そう、論理的思考ならね。」ジョブズも納得のイノベーションだった。

スティーブ・ジョブズ  [DVD]

 

物事には理由があって、その理由を考えていけば、答えが見つかる。

 

小学生にして僕は「論理的思考」の虜となったのだ。そして、高校の教室の隅で北斗の拳をトレースするよう成長していく。もう最悪だ。よく検証すれば、小学校から高校への変化にも論理的な理由があるのだと思うけど、僕がその理由を見つけた所で誰も幸せにならない(福山雅治的なドヤ顔で)ので、心の底に封印している。

【映画パンフレット】 『 容疑者Xの献身』 出演:福山雅治.柴咲コウ.堤真一.北村一輝

やがて、ヒールリフトが出来た所で、永遠にサッカーはうまくなりはしないし、あの娘には近づく術もない、という結論を論理的に導き出した僕は、全ての輝かしいものに背を向け、理系への道を歩むことにしたのだった。

 

あの時、ヒールリフトが出来ていなかったら、僕はどんな大人になっていただろうか?

 

きっと、ヒールリフトすらできない負け犬として、それはもう卑屈な人生を送っていた、送っていたんだよ、ヒールリフトする金持ちのヒールをひたすらキレイに磨いては「旦那様、ヒールの具合はいかがだべか?」とかごきげんうかがっては「こんな程度の仕事しかできんのか。この薄汚い犬め!」とか言われて、股間のボールをヒールで蹴り上げられるような毎日だったはずだ。そう思わないとやってらんないよバカヤロー。青春のバカヤロー。

 

とはいえ、小学生の僕に論理を気づかせてくれたサッカーには感謝している。そして、高校生の僕に、北斗の拳をトレースしてるとロクな事はないと気づかせてくれたサッカーには、ホントもう地獄の業火に焼かれろと思っている。

 

さてさて、望むと望まざるとに関わらず、4年に1度は嫌でもサッカー話が盛り上がる国だ。サッカーにとっては言いがかりでしかないけれど、いまだにサッカー中継見ると、ヒールリフトの理屈と忌まわしい記憶が同時に蘇ってくるので困っている。

 

ホント、そんなちょっとしたトラウマを感じながらもテレビ中継みてるんだから、それなりに頑張ってよね、日本代表!

 

という、論理的思考のお陰でヒールリフトはできたけど、青春はダメにしちゃったよっていうお話でした。

 

てか、論理的思考で、人って幸せになれるんですかね?

コレ書いてて、改めて疑問だ。

 

 

 

 

☆あの素晴らしい愛をもう一度
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