なぜ人を殺してはいけないのか?という質問にあさっての方向から切り込んでみる。
さて、ショッキングな事件の後、そこかしこで「どうして人を殺してはいけないのか?」に答えるという、様々なご意見が散見されておりまして。
で、『笑い中心』を標榜している当ブログといたしましては、こういうデリケートゾーンに触れるのは、痴漢冤罪対策としてもポリシー的にも避けているのでありますけれど、ふとですね、ある切り口に思い至ったので、筆を執ってみた次第です。
その切り口と言うのはですね、
『なぜ人を殺してはいけないのか?』は問題になるのに『なぜ人を笑わす事をしないのか?』は問題にならないのだろう?
という事なんです。そりゃもちろん、人殺しは禁忌な部分があって、一方笑いなんて自由意志でしかないので、直接結びつけるのは強引この上ないのはわかってますけどね。
でもですよ、「どうして殺しちゃいけないの?」という問いと「どうして笑わそうとしないの?」という問いって、さほど遠くにあるようには思えないんですよ、僕は。
どちらも「やろうと思えばできるけどやらない事」というカテゴリに入れてもいいじゃないですか。
そういう面から見て、「どうして笑わそうとしないのか?」という点を考えてみて得られた結果から「どうして殺しちゃいけないの?」という問いに答えてみたいと思います。今の所、なんの考えも結論もありません。なんて無頼派!
まず、今回「積極的に人を笑わせようとする人」は除外します。そういう人も居ますものね。どちらかといえば「なんで人を笑わせるようなことを自分がやらなきゃならんのだ。」と思ってる人を想定してます。あるいは「自分には人を笑わすことなんてできない」と思っている人。
あと、別に笑わせなくていいシチュエーションなんていくらでもあるので、そういう場合は抜きにしましょう。例えば、仲間で集まって遊びに行く場合、とかとでも考えて下さい。
さてこの方々はなぜ人を笑わすことをしないのでしょうか?幾つか理由はあると思います。
1.能力面
そもそも、能力的に人を笑わすことが出来ないと考えているかもしれません。
例えば、
- 自分は面白いことが思いつかないから人を笑わすことなんて出来ない。
- 恥ずかしがり屋だから、恥ずかしくてできない。
- 滑るのが怖いからできない。
- 面白い顔や身体じゃないからできない。
といった所でしょうか。
では、これらを人殺しに当てはめて言い換えてみましょう。
『やる←→やらない』、『殺す←→笑わす』という言い換えなんでちょっとだけ複雑ですが…。
- 自分は人を殺すイメージができるから、人を殺す事が出来る。
- 殺す事に精神的抵抗を感じないので、できる。
- 捕まるのは怖くないのでできる。
- 自分には人殺しの能力があると思うからできる。
となりますね。とりあえず、コレはまあ分析の一手ということで、置いておいて、次。
2.モチベーション面
なぜ人を笑わせなくてはいけないのか?と思う人の中には、簡単に言ってしまえば「そんなことをして何の得があるんだ?」っていう方がいらっしゃると思います。プロでお金もらっているならいざしらず、一般人の自分がなんでそんな事をしなきゃならないのか?と。
きっと、この考えを持ってる人が「どうして人を殺したらいけないの?」という質問をする人に多いんじゃないかと想像してます。(データがあるわけじゃないですが…。)
なぜなら、『人を笑わす=他人の利益』という図式が頭にある故にそういった考えになっているはずだからです。一方、人を笑わすことに必死にエネルギーを割く人ってそれで承認欲求をみたしたり、関係性を良好に保っているんだと思うんです。つまり『人を笑わす=自分の利益』。
他人の利益だけの為に、どうして人を笑わさなきゃいけないのか?という認識なわけです。そりゃそうなったら笑わそうなんて思いませんよね。他者・他人からの承認欲求とか良好な関係性の構築、なんかを「笑わす」という行為と結びつけていないということでしょう。
それを踏まえると、どうして人を殺してはいけないの?と真顔で質問する人の頭の中はどうなっているんでしょうか。
そこにはおそらく、『人を殺さない=他人の利益』という図式が出来上がっているのかもしれません。『人を殺さない=自分の利益』とはなっていないのかも。
さすがに『人を殺す=自分の利益』と思ってそういう質問をしているのでは無いと思います。*1
ようは、他人ごとだからそんな質問が出る、なんてのはよく言われてる事ですけど、こういう事なんでしょうね。
他人の利益にはなるのはわかるけど、自分の利益だという意識がない。
まとめ
なぜ笑わせようとしないのか?
モチベーションは抜きにしての能力面でいえば、基本的に『主観による制限』がその理由となりそう。また、モチベーションの面で考えれば、『笑わす事のメリットを感じていない・理解していない・興味が無い』という事が言えそうです。
もちろん、モチベーションはあるけど能力面が、という方もいらっしゃる事と思います。そういう場合には「笑わそうとしない」というより「笑わすことが出来ない」になるので、ちょっとまた別な話になりますね。人殺しに置き換えれば、「殺す気なんてさらさらない」というようにも言えますし。その場合には能力的に「殺すことはできるけど」という補足も付けられそう。強引すぎますけど。
そうなるとどうやら、問題なのはモチベーションの方ですね。
『笑わす事のメリットを感じていない・理解していない・興味が無い』つまりそれは言い換えれば『他人にも自分にも興味が無い』と言えないでしょうか?
だって、承認欲求が無いか相当に薄い。できるできないは置いておいて、笑わしたいとちっとも思わないって、そういうことしか考えられないんじゃないでしょうか。
ちょっといいすぎだと思われた場合は、「笑い」ではなく「楽しませたい」とかに置き換えていただけると助かります。
まあ、仲間内で遊んでいてそんな風になる人は稀有だと思いますが、同様に「どうして殺しちゃいけないの?」って真顔で聞く人も稀有でしょうから、それはまあそういうことにしていただいて。
結局「殺しちゃいけないの?」と言い出す人も、同じようなものなんじゃないのかなと。自分にも他人にも興味が無い。だから記号化された人間とか社会とかってモノサシを持ち出すしかなくなってるのかもしれません。興味が無いものに価値や意義を見出すのは至難の業ですから。
じゃあ一体、「どうして殺しちゃいけないの?」にどう答えるか。
相手は『他人にも自分にも興味が無い』人なわけです。だったらまず、どっちかに興味を持ってもらうのが一番でしょうね。
「じゃあ教えてやるから、まずなんかギャグやってみ?」
って提案してみましょうか。で、なんでもいいからやってもらう。そしたら、嫌味がない程度に笑ってみますかね。で、
「まだ同じ質問する?」
って尋ねてみたらどうだろう?
まあ、ないな。
サブちゃん「ちわ~!殺し屋で~す!」 サザエさん「あら~、サブちゃん!ちょうど今お願いしようと思ってた所なの。」
— 水輪ラテール (@minawa_la_terre) 2014, 8月 1