どーでもイージー

面白くて笑えるコンテンツの泉、になったらいいなー。一言でも良いので感想や反応もらえると、励みになります。ホント、感想以外の報酬はほぼゼロなんで、感想乞食に一言お恵みを~!

スポンサーリング

僕のカトちゃんを振り返ってみる

皆さんご存知、『カトちゃん』こと、加藤茶さんがかなりまずい状態なんじゃないか?という記事を拝読しました。

 

加藤茶の異変から考えるお笑い芸人の"引退" - 倒錯委員長の活動日誌

 

ザックリ言ってしまえば、「鶴瓶の家族に乾杯にカトちゃんが出てたんだけど、認知症っぽい感じになってる。」という話だ。僕自身は問題の番組は見ていないから、ホントの所はわからないけど、各メディアで取り沙汰されてるらしいので、相当なんだろう。

 

なんとも、寂しい限りだ。なにせ、あの伝説のギャグ、ウ◯コチ◯チ◯のカトちゃんである。認知症になってウ◯コチ◯チ◯なんて言われた日には、介護する人はきっと大慌てだ。ちょっと笑えたもんじゃない。

 

一応、若い人でカトちゃんの事をあまりよく知らない人の為にご説明差し上げると、ウ◯コチ◯チ◯とは、小学生男子が無条件に喜ぶ2大キーワードを何の小細工もなく連結した、日本のお笑い界の金字塔と呼べるギャグである。食べ物で言う所の、カツカレーだと言えば、その破壊力がわかっていただける事と思う。

 

なんて言ってるけど、僕自身はオンタイムで ウ◯コチ◯チ◯に熱狂した世代ではない。どちらかと言えば、映像コントの番組『ドリフ大爆笑』の方が馴染み深い世代だ。

ザ・ドリフターズ結成50周年記念 ドリフ大爆笑 DVD-BOX

オンタイムで見た『8時だよ全員集合』の一番の記憶と言ったら、なぜか唐突にオッ◯イが出てくる回を家族と一緒に見ていて気まずい思いをした、という全員集合あるあるぐらいのもんである。

 

さて、僕はそんなドリフ紀後期に少年時代を過ごした。

ひょうきん族をメインで見だす子たちが増える中で、頑なにドリフ派だった気がする。いくら記憶の引きだしを隅から隅まで調べても、ひょうきん族についてはたったの1つ、タケちゃんマンロボが合体する場面の記憶しか出てこないからだ。

それに比べれば、幾度と無くオッ◯イで気まずくなった記憶があるわけだから、やっぱりドリフの方をよく見ていたんだろう。

 

けれど、ホントに良く見た記憶があるのはドリフ大爆笑でも全員集合でもなく、『カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ』だ。むしろ、僕の中のカトちゃんは、このごきげんテレビのカトちゃんと言っても過言ではない。

 

カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ [DVD]

カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ [DVD]

 

 

この、ごきげんテレビ。毎回2部構成で、前半はコント、後半は視聴者の投稿動画とかそんなのをカトちゃんケンちゃんで見てなんか言う、みたいな番組だった。

なんというか、過渡期感丸出しの番組だけど、案外こういうの今やっても面白いんじゃないだろうか?*1

 

さて、僕はこの番組のコント部分が大好きだった。当時、後半のビデオ紹介コーナーなんて無くしてコントだけやってくれないかと、毎回思っていたぐらい。

 

おそらく、この構成になったのにも事情があるんだと思う。なぜなら、今振り返っても、結構な手間をかけたコントだったからだ。大人になって、多少そっちの事に明るくなったからこそわかるが、あんなクオリティの物を毎週30分間作るなんてとんでもない事だ。また、毎回30分コントやってたら、直ぐ飽きられたり枯渇したりする、っていうのもあったろう。

 

そんな事をやってのけてたんだから、この時の二人も、制作スタッフも元気だったんだろう。もっとも、8時だよ全員集合の時には、本番終了後からネタ会議してセット組んで、台本作って、さらに稽古して、ギリギリ1週間後の本番に間に合わせてたって言うから、それに比べれば屁でもないだろうけれど。

 

今、そんな風に『作り上げる』事にエネルギーを注いでる番組がどれだけあるだろうか?と思うと、「あの頃テレビが輝いていた」という言葉は、あながちただの懐古主義とはいえないかもしれない。

 

 

ごきげんテレビに話を戻そう。

 

15分程度のコントは大体毎回大枠の形が決まっていた。カトケンの二人は、確か探偵か何かという設定だ。毎回、一緒に住んでる家に、電話がかかってくる。それに出ると「わたしだ。」と、謎のボスと呼ばれる人物からの電話があり、二人はその人物からの指令でミッションを遂行。アレコレとドタバタを繰り広げるのである。

 

この中で色々なコントをやっていた。今でも覚えているのを列挙すると、

 

時間を止められる力を手に入れる

そのまんまだけど、何かのアイテムを手に入れて、時間を止められるようになる。大体、こういう系のコントの時、必ずと言っていいほど女性のスカートの中に入る。

そのスカートへの入り方が、カトちゃんと志村で違ったりする。志村の入り方は、ちょっといやらしい感じ。カトちゃんの入り方ってのが、なんというか、「ちょいとすんずれいいたしまして」ってな具合の軽妙な感じだったように思う。

 

スイカマン

これは、志村がスイカの早食いをしていると、スイカを食べ過ぎたかなんかで、スイカのお化けみたいなのになってしまって、そのスイカのお化けはどんどん街の人をスイカマンに変えていってしまう。っていうホラー仕立てのコントだった。

 

幸運を呼ぶ太鼓

f:id:do-demo-e-jump:20140612194031p:plain

志村が、上の図のような太鼓を叩いて「だいじょぶだぁ」と言うと、必ず幸運が起こる太鼓の話。まず、太鼓とバチがよくわからない形をしてる。

志村が「この太鼓、必ず願いが叶うんだ。」って言うと、カトちゃんが「そんな事起きるわけ無いだろ」って否定するんだけど、その度に志村がこの太鼓で実現していって、最後の方は志村が宗教団体の教祖みたいになっていく、っていうコント。

 

小学生だった僕は、この太鼓のコントで大爆笑していた。なんていうか、太鼓の形からしてもうなんか間抜けだし、叩いた音もなんとも言えない馬鹿っぽい感じだった。

そこへ来て、「だいじょぶだぁ~」とか変な言い方するし、絶対そんなので奇跡なんて起こるわけない感じなんだけど、どんどん奇跡が起きていくのが、なんかもう言葉に出来ない面白さだった。

 

このコントはかなりウケが良かったんだろう。後に志村は一人で「志村けんのだいじょぶだぁ」を始める。

 

この「だいじょぶだぁ」が始まった辺りから、カトちゃんをテレビで見る機会が減った。むしろ、この頃PCエンジンで発売されてた『カトちゃんケンちゃん』というゲームソフトの中の方がよく見かけた。

カトちゃんケンちゃん 【PCエンジン】

 

 

さて、ココからは大人になった僕の推測を交えて書きます。

 

思えば、加藤茶という人物は、決してお笑いの人では無かったんだろうと思う。

ドリフターズはそもそもコミックバンドだった。カトちゃんはそこでドラムをしていたようだ。1度、なにかの番組でドリフターズのコミックバンド時代のパフォーマンスを見たが、リズムを利用したネタだったように思う。そのネタの中核を成していたのがカトちゃんだった。若さとか、他のメンバーに比べて陽気な雰囲気を持っていたということも影響しているだろう。

 

そんなドリフターズはいつの間にか、コメディーグループに変わっていった。

それでも、カトちゃんはコントの中核を担い続けた。陽気さやひょうきんさ、なにより抜群のリズム感が武器だったように思う。

同時期の志村けんと比べてみるとなんとなくわかってもらえると思うんだけど、カトちゃんの方が動きのリズム感がよかったりする。志村は重く見える。

実はこの動きの感覚というのは、舞台ではとてつもなく大事だ。一度でも舞台で演じた経験のある人ならお分かりいただけるかと思うが、舞台の上で軽やかに動くのは、簡単なことじゃあない。

伝わるかわからないけど例を上げれば、志村が「わぁ~~~おぅ!」に対して、カトちゃんは「へっくしっ!」なのだ。または、志村が「東村山音頭」に対して、カトちゃんは「ジャズドラム」なのだ。

 

そういう点で、カトちゃんは志村けんよりも、演じる才能があったように思う。

志村けんチャップリンキートンなどを散々勉強して吸収しようとしていたけれど、多分そういうスラップスティックが向いていたのは志村ではなくカトちゃんの方だろうと思う。

 

ただ、先程も書いたけど、カトちゃんは笑いの人ではなかった。

 

そもそも、笑いを生み出すことに興味なんて無かったんだろうと思う。そうでなければ、「だいじょぶだぁ」にカトちゃんが出てないわけがない。だって、志村がやりたいと思っている事を表現出来るのは、カトちゃんなんだから。

 

ドリフの時も多分、いかりや長介が居て、こうしろああしろと言われて、そうやって動いてきたんだと思う。どちらかといえば、本人の意識としては役者に近かったかもしれない。

 

天は二物を与えずなんていうけれど、きっと彼には、笑いを演じる才能があっても、笑いを作る才能が無かったのだろうと思う。神様はなんて意地悪なんだろうか。

 

だいじょぶだぁの頃は、きっと蓄えがわんさとあっただろうから、何も彼にとって大変で面倒臭いコント作りなんてやる気も起きなかったのだろう。そりゃそうだ、全員集合の時にさんざやってきたんだから。

 

こうして、カトちゃんはいつの間にか、笑いのメインストリームから消えていった。思えば、皆からカトちゃんと呼ばれていた『カトちゃん』を見たのは、ごきげんテレビまでだったように思う。

 

その後、ウッチャンナンチャンダウンタウンとんねるず、など現れ、笑いの世界はめまぐるしく変わっていった。

 

そんな渦をテレビ越しに眺めながら育った僕が、いつしかほんのちょっぴりそっちの世界に関わったりしてた頃、こんな話を小耳に挟んだ。

 

「カトちゃんは、毎回仕事(どの仕事を指してるかは不明)が終わると百名近いスタッフ全員を引き連れて銀座へ飲みに行くらしい。全部カトちゃんのおごりだそうだ。1晩で400万使う時もあるらしい。」

 

確か、なんかのバラエティ番組とかでご本人も言っていたから、記憶が混同してるかもしれないが、僕は人づてに聞いたように思う。いわゆる、宵越しの金は持たねぇ!ってやつだ。

 

そう。あの頃、カトちゃんはスターだった。

 

あるいは、スターを演じていたのかもしれないけれど…。*2

 

僕の中にはいまだに、あの頃いきいきと、いつもの軽妙なリズムでコントをやってるカトちゃんが居る。今テレビに出てる芸人にはない軽やかさで、スカートの中へ潜り込んでく。

 

あの頃、あの番組達の、あのコントたちを見てなかったら、僕は全く違う人間だったろうと思う。頑張ったら、いつか加藤茶と仕事できるかも、なんて叶いやしない夢を描いたこともあった。

 

 

カトちゃんが話も出来ないでヨタヨタしてたなんて、まさかと思いたい。

 

 

だって、カトちゃんはスターだぜ?

きっと、認知症を演じているだけなんじゃないかな。

 

 

―――あの幸運を呼ぶ太鼓のマヌケな音が、また聞きたくなってきたな。

 

 

 

 

*1:そんなエネルギーが必要な番組を作る根性のあるテレビマンがいればの話だけど。

*2:そういう伝説のある人は、ほとんどがスターを演じていた。

☆あの素晴らしい愛をもう一度
【ご覧のスポンサーの提供でお送りいたしました。】