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僕たちは何を試されているのか?

今週のお題「テスト」


コクヨのツインリングノート / yto

 

いわゆる、授業の達成度を測る、あるいは学力を測る意味でのテストを受けた中で、1つだけ異常に印象に残っているものがある。

 

それは大学で受けた統計力学のテストだ。

統計力学なんて引き合いに出すと、頭よさげだが、現実には理系底辺大学の話なんで、たかが知れているのは一応断っておきたい。

 

さて、この僕が受けた統計力学。楽して単位が欲しい学生からしたら地獄の授業だった。なにせ必修な上に、教鞭を振るっていた教授がもう偏屈を絵に描いたような嫌味な奴だったからだ。

 

「君たちは進化論を原文で読んだこともないだろう。君たちは進化の意味をわかってない。ダーウィン先生は適者生存と書いてるんですよ。」

 

まあ、図星だけれど、一々癪に障る言い方をする。万事こんな具合だから学生がどんどん脱落していく。底辺大学であればなおさらだ。

 

一応、分からない方のために、統計力学って何かとざっくり申し上げておくと、例えば『水』ってなんで常温で蒸発するの?っていう質問に、「水の中にたくさんある分子の中には、コップから空気中に飛び出すぐらいのエネルギーをもった分子が、ある確率で存在してるから。」みたいに答える学問です。

それでもナンノコッチャかもしれませんが、18℃の水の中にも、100℃の時の水と同じエネルギーを持ってる水分子が居て、そいつが飛び出すわけです。学校に必ず数人はヤンチャする奴が居るようなものです。これが、荒れた学校になると、そういう生徒が増えますよね?その『学校が荒れる』状態が水で言えば、100℃近くまで温められてる状態。空気中に飛び出したくて仕方ないヤンチャな水分子が一杯いるわけです。

 

じゃあ、18℃の水はどのぐらい時間が経ったら半分になるか?これを考える時には、ニュートン先生の考えた物理学じゃ答えが出せなかったようです。学校の中に何人ヤンチャな生徒が居るか言い当てられなかった。ニュートン先生は「こいつとこいつは不良!」って予め決めとかないといけないんです。手続き上。

ところが、統計力学はその名の通り、『統計』を用います。つまり、このぐらい荒れてる学校なら、確率として〇〇%ぐらいの生徒が不良だよね。だから、2学期末ぐらいには〇〇人の生徒は退学になるね。みたいな事が出来る。水に話を戻せば、いつコップの水が半分になるか、予測できるわけです。

 

こんなような事をするのが統計力学、だと僕は認識してます。まあ、底辺大学の言う事なんで、違ったらごめんなさい。偉い人がツッコんでくれると思います。

(もちろん、コップの水の話だけじゃないですけどね。相転移とか分子構造とかそういう世界にまでつながっていく。)

 

さて、もうここまで読んでお分かりかと思いますが、正直取っ付きにくい分野だったりします。だれも学校の不良に例えてなんかくれませんからね。もっとわかりにくい数式とか概念とかバンバン出てくる。

 

そんな統計力学のテストだ。教授も嫌味だし内容もややこしいし。もうハードルが上がりすぎてくぐれんじゃねぇの、これ?と思えるレベル。

しかもテスト開始前に教授がこんなことを言う「このテストは、今日の時間割の最後ですから。いくら時間がかかっても構いません。2時間掛けたい奴は掛けていい。朝までかかったっていいです。」最初これは、『お前らバカだから時間やるよ宣言』だと思っていた。

 

そして、テストが始まる。案の定、面倒な数式をグズグズ書き連ねて答える質問が5問ほど。サービス問題感は殆ど無い。当然のことながら、テスト開始30分も立たない内に教室を出て行く連中が続出する。

 

ただ、確かノートは持ち込んでOKだった。授業に出てノート取って、仕組みさえ理解していれば、なんとか解けないことも無い問題ばかりだ。

 

……うーーーん。それにしても、わからない。わからないまま時は流れて。浮かんでは、消えていく、ありふれた、ことばだけ。

ラブ・ストーリーは突然に

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 それでも考えて少ない脳味噌ほじくり返して、少しずつ書き進めていく。気づけば開始から3時間が過ぎていた。ほとんど人の居なくなった教室で、とにかく何とか答えをだして、全問解き終わった頃には、夕暮れ前だった外の風景は、夕焼けがすっぽり抜け落ちて、真っ暗になっていた。

 

なんでかあのテストだけ強烈に覚えている。

いつまでも時間を掛けていいテストなんて、それまでなかったから、印象が強かったのかもしれない。

あるいは、短い時間に決められたフォーマットをどれだけ解けるか、という勝負に負けてここに居るという事に、どこかやはり負い目を感じていたのかも。

 

なんにせよ、解けるまで向き合ってていいテストに初めて出会った。

今思えば、嬉しかったのかもしれない。

 

後日、答案用紙が返ってきた。僕が多大な時間と労力を費やして、よし、これはいけた!と思った解答は、見事に三角だった。

 

赤ペンでこんなことが書いてあった、「努力は認めるが、問題を勘違いしてないか?」そう。完全に問題を読み違えて、必要以上にややこしい計算をし、見当違いの答えを出していた。落ち着いて見てみると、なんでこうなった?って自分でも思うような問題なのにね。3時間も唸っててわけわかんなくなってたんだろうね。

 

でも、三角だった。×じゃなく。

 

なんだか、正解以上に認められた気がした。…多分僕の勘違いだろう。通常授業になったら、やっぱり嫌味なことしか言わない。なんだったんだアイツは。

 

ただ、このテストを受けてよかったとは思う。

解けるまで向き合う事が許されるなんてケースがあるなんて、それまで思ってもみなかった。個人的には「時間制限に意義があるのか!?」なんて思ってても、世の中が許さないだろうなぁ、と。でも、そういう事もあるみたい。

考えてみれば、研究職なんて根本的にはそんなものかもしれない。解けるまで向き合い続ける。期限なしだ。ある意味では、それはひどくしんどい事かもしれないけど。

 

それを人生に置き換えるのは、拡大解釈しすぎだろうか。

 

 

現実にはいつでも何にでも期限はある。同じ時間をかけるなら、成果の上回る方が優秀だと評される。事実、そうだろうと思う。

けど、いままで誰も解いたことのない問題を、たとえ一生掛かったとしても解けたとしたなら、それを上回る成果なんてこの世にあるだろうか?

 

なんてことをグズグズと考えながら、今日も成果を上げていない事を正当化しつつ、ブログを更新するのである。

 

 

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