読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

どーでもイージー

面白くて笑えるコンテンツの泉、になったらいいなー。一言でも良いので感想や反応もらえると、励みになります。ホント、感想以外の報酬はほぼゼロなんで、感想乞食に一言お恵みを~!

スポンサーリング

内輪ネタと言われない方法ってないものか。【完結編】

ザレゴト

えー、こないだは完全に脳味噌が溶け出してしまって、中途半端で切り上げてしまって、KILL BILL1見た後の顔にさせてしまったようで、申し訳ない気持ちで一杯です。でもしょうがないよね、溶けちゃったんだもの、脳。イエス怠惰。

てなわけで、

内輪ネタと言われない方法ってないものか。 - どーでもイージー

の続きでやんす。

 

長い上に、大した結論でもなくほぼ自己満記事なので、相当暇な方だけどうぞ~。

 


前回どこまで考えたかというと、

 

  • 内輪ネタとサブカルって似てるけど、文句言われるのは内輪ネタだけだよね。
  • 売り方の違いなんじゃないかなぁ?ブログもサブカルみたいな売り方したら文句言われないんじゃないの?

 

って所で、脳味噌が溶けちゃったわけです。NO味噌になったわけです。そんな日は顆粒ダシで手抜きお吸い物。ズズズズー。

 

さて、確かに売る相手を限定すれば、ブログでも格段に内輪ネタと言われる可能性は低くなるでしょう。トップページやらサイドバーやらの随所に「わかるひとだけわかればいい」と言うようなアイテムや注意書き、画像なんかを貼りまくれば、「あ、そういうブログなんだな」と初見の人でもわかるわけですから、さほど難しいことじゃない。トップページにいきなりでっかく「死」とか書かれてたら、1秒しない内に読まないという選択が出来るってもんです。まあ、それも一つの手ですかね。そうやって、それでも読んでみようと思える人だけ読むコミュニティが出来上がる。

 

でも思うんですけど、サブカルと呼ばれてるものに携わってる人達って、ホントに小さいコミュニティでこじんまりしていたいと望んでるでしょうか?

今コレを書いていて、僕には小劇場という、クソ小さくてマニアックなコミュニティが思い浮かびました。僕自身その世界につま先突っ込んだりしましたが、そこが好きな客層というものはあっても、作る側がその人達だけにやってればいいと考えては居なかったように思います。結果的にその形になっているだけで。これには、予算の事とか、実力だとかテーマだとか表現方法だとか、色々な要素が関係してるでしょう。でも作ってる人はできれば沢山の人に見てもらいたいし、見てもらって通じ合える人に出会いたいとみんな思ってました。もちろん、全部を知ってるわけじゃないですから、100%言い切れるわけじゃないですが、恐らく多数の作り手はそう思っているはず。

 

とはいうものの、観客の立場ってのもありますよね。僕だって観客の一人だったりします。2~3000円払って(このぐらいがチケット代の相場)、2時間近くの間、腰の痛くなるパイプ椅子にじっと座って観るわけです。んで、極稀に人生観が変わるぐらいの衝撃を受ける事もあれば、石を投げつけたくなる時もあるわけです。いや、石を投げつけたくなる事が6割、まあ投げつけなくてもいいかが3割9分9厘。1厘が感動。ぐらいな世界です。金返せと言いたい、でも言わない。自分も同じ穴の狢だから。これはサブカルに文句が出にくい理由の一つでしょうね。

あるいはもし違う穴の狢だったら、「金返せ!」って言っていいと思います。それぐらい、自己満足だけでやってるのでは?と思うようなモノが存在してて、普通にそこらの媒体で宣伝してたりします。いや、まあ見る側の能力で良さがわかってないという可能性はあると思いますけど。そういうレベルじゃないものが、ホントにあるんですよ。ええ。

 

これってなんとなくブログにも言える気がするんです。というか、まだブログのほうがマシだと思うんです。だって、時間ぐらいしか見る側は負担してないんですから。時間にしたって2時間も使わないでしょ。

ちょっと話はズレますが、ブログの内輪ネタやら釣り記事で頭に来る人は、絶対小劇場にはいかないほうがいいですよとお伝えしておきたい。感動に出会うこともない代わりに、どうしようもない怒りとやるせなさに震えずに済みます。

それはまあそれとして。多分この例を見た時に、「不特定多数」というワードを浮かべる人も多いかと。確かに小劇場は、前情報の不確かさは置いておいたとしても、一応は観に行くという選択をして見に行っています。でも、それってブログも一緒じゃないですかね?一応はリンクをクリックして見に行ってる。その実際の内容がどういうものなのかは、舞台もブログも見てみなきゃわからないのは一緒です。

 

ただ、さっきも書きましたけど、小劇場に居る人達に悪気はなかったりします。というかむしろ、懸命に面白いものを感動できるものを、社会的に意義のあるものを、あるいはそれ以外のなにかを、表現したくて作ってる事がほとんどです。

それは作る側が負担するコストを見れば明らかです。結構負担は大きい。それなりにセット組んでそれなりに宣伝して(小劇場界隈という範囲で)という事をすると、普通に300万ぐらいかかります。で、キャパは劇場によりますが、100人ぐらいが通常でしょうか。1週間劇場借りて10回公演やったとします。*1仕込みだとか諸々の制約があるし、役者の体力や時間の問題があるのでそう無尽蔵に回数を行えるわけじゃないですからね。それで、チケット代を3000円とたっとしましょう。これで、ようやくトントンです。1000人の観客を劇場まで連れてきてチケット代はらってもらって、ようやくトントン。(うまいこと儲けを出す人達も居るには居ますけど。少数です。)

こんな世界で、わざわざつまんないものつくってやろうなんて傑物なかなか居ない、というのは想像に難くないでしょう。

 

さあ、ここです。ここがブログと小劇場を分ける分水嶺なんじゃないかと思うわけです。つまり、「作る人が負担するコスト」の問題。結局のところ、これが内輪ネタ批判を産み出す根底なんじゃないでしょうか。作る側・見る側双方にとって、作る人の負担するコストの小ささが、内輪ネタを産み出す土壌を作っているのかも。

基本、1つブログを運営するのに300万も掛かりません。サーバー代や、はてなで言えばプロ化など、何かしら金銭的負担をして記事を書いてる人もいるかもしれませんが、大多数は無料で書けて、無料で発表できちゃう。そういう点のコストが小さいから、「絶対にコレをやりたいんだ!」という強い意志を必要としない。その結果、配慮に欠ける記事が生まれやすくなる。あくまでこれは全体の割合の話で、小劇場だって、ものすごいコストを負担してるにもかかわらずどうしようもない作品を作ってる人が一定数いるわけです。ブログならなおさら、じゃないかと。*2

また、作り手がわかりやすいコストを負担していないという点自体が、批判してもいい対象に見られやすくしている可能性もあります。つまり「直接金取ってないから適当に書いてんだろ?」みたいな可能性。

 

でも逆に言えば、コストの負担が少なくても発表できるからこそ、「なんでもない話」を記事にできる、とも言えます。まさにそれは無料ブログが生み出した素晴らしい世界ですよね。ブログが広まるまではそんな話、こんな簡単にお目にかかることは出来なかったんですから。他にも、色々な可能性がそこにはあります。「これって面白いかな?」みたいな思いつきでも発表できる。そして反応を知ることが出来る。毎回死にそうになりながらトントンになるか赤字になるかの綱渡りをしながらそんな挑戦なかなかできやしませんよ。(舞台には舞台でしかできない事があるんですけどね。)

 

てなわけで、内輪ネタやりたかったら売り先を限定して、その客だけ相手にしてサブカル気取ってればいいかな。って思ったんですけど、どうやらブログと似た構造を持ったサブカル・小劇場を引き合いに出してみると、そうとばかりは言い切れないんじゃないかな?という気になってきました。サブカルだって沢山の人に見てもらいたいんじゃないだろうか。単にみてもらう術が無いか、その術を簡単には手にできないだけで。ごめんよサブカル。

 

あと、作る人のコストって書きましたけど、無料ブログの世界では見る側も作る側も双方、基本的に掛かるコストが小さいですよね。小劇場と違って。

でも、見る側はコストが小さくても、感じる不快感は変わらない、という所が味噌ですね。人間ですから、人が発表したものに対して沸き起こる感覚というのは、負担したコストとは無関係なんでしょう。「金返せ!」と叫べない分、かえってフラストレーションがたまる可能性すらあります。

 

そうしたら、見る側にもコストを負担してもらうという形はどうだろう?その費用によって、観る人が望む記事だけを読めるようなシステムを作る。そうすれば、内輪ネタだとか釣り記事だとかに悩まされることはなくなりますね。あと、万が一クズ記事に当たった時、「金返せ!」と叫べる。コレ結構大事かも。

まあ、これはメルマガでも似たような効果は狙えると思いますが、「ブログ」という点に絞るためにそれは置いておいて頂いて。

 

いかがでしょうか?釣り記事や内輪ネタがうんざりな皆さん。果たして皆さんは、費用負担してそのシステムが欲しいでしょうか?もし、ホントにもうそういう記事には出会いたくないというなら、これにイエスと言わない手はないと思うんです。ただ、現実にどのぐらいの人がイエスと言うでしょうか?例えば、今読んでいるこの記事、お金を負担して、見たり、フィルター掛けたりしますかね?

無料だからこそ、釣りや内輪記事が生まれやすいわけですけど、同時に、無料だからこそ今まで知ることのできなかった世界を知れたり、つながることのなかった相手とつながったりできているという点は、意識してみてもいいのではないでしょうか。

 

次に、作り手側について、内輪ネタと言われない方法を、コスト面から考えてみましょう。コストと言うとお金のことばかりに目が行ってしまいますが、時間やつぎ込むエネルギーだって立派なコストだ、という事で話をすすめます。

まず、金を出したから見た人が納得するかというと、そういうわけではありませんよね。小劇場だって、いくらセットに凝ったって、行われてることがダメダメだったら、やっぱりそれはダメです。あるいはセットなんかなくたって、感動を呼び起こすお芝居もあります。何が違うか?単純に面白いかどうかって事になっちゃいますけど、何にエネルギーを注げば面白くなるか?という事だと思います。芝居のことで言えば、何を表現するか?それを観客にどう伝えるのか?という事に注力することになるでしょうか。またその為には、良い台本を用意したり、役者が観客を引き込める演技をできるようにするだとか、そういう事にエネルギーを沢山使っていく事になります。そうすればまあ、感動まで行くかはともかく、石を投げられる可能性はグッと減るでしょう。大体の場合、掛けてるエネルギーが足りないか、掛け方がまずくて100注いだのに1しか効果をあげてないとか、あるいは、なんとか公演をやりとげる!という間違った方向にエネルギーを使ってるとか、そんな感じだと思います。

 

ではブログで石を投げられない為には、何にエネルギーを使えばいいでしょうか?
たとえば写真。スマホで写真一つ撮るのだって、それなりに綺麗に撮りますよね?ダメだったら撮り直しますよね?また、もしかしたら、心が動く瞬間をじっと待ってその時だけ写真を撮る人もいるかもしれない。何も浮かばないから、とにかく外へ出て撮りまくるかもしれない。これらのようにエネルギーを使っていれば、批判なんてされようも無いと思うんです。技術面もあるかもしれませんが、それだって技術をあげようとエネルギーを注げばいいわけです。伝えたいものがあるのに技術的に伝えられないのであれば、当然技術を磨くべきですよね。

あるいは、ブログのほとんどは文字です。文章は量が多ければエネルギーを注いだってもんでもないと思います。推敲に推敲を重ねて、10行を3行に縮めたとしたら、そこにはやはり強烈なエネルギーを使っているわけで。まあそれは、例えばの話ですけど。表現したいことによっては、ひたすら推敲せずに書き続けるというのもありでしょう。それはそれでエネルギー使うでしょうし。

 

結局、何をしたいのか?それを伝えるにはどうすればいいのか?が大事なんでしょうね。きっと小劇場と変わりません。愚痴を吐き出したいだけなら、吐き出せばいいのです。それが目的なら、全て出しきる事にエネルギーを使って欲しい。全身全霊を掛けて。なかなか大変な作業だと思います。愚痴に共感してもらいたいなら、それこそ自分のつらさがわかってもらえるように、文章や表現を工夫するべきでしょう。見に来た人を笑わせたいなら、どうすればその人達が笑うのかとことん考えればいい。なんとなくコレ面白いんじゃね?でも発表はできますけど、面白さをわかってもらえるようどれだけのエネルギーを注いだのか振り返ってみてもらいたい。出来ることならば、確かに全て注ぎきったと思える時にだけ、世に問うてもらいたい(自戒を込めて)。つまらない結果になるのは、作り手も読み手も望んでないはずなんですよ、元来。

なんであっても、突き詰めると見てる方は面白くなるもんです。例えば、適当にやりたいんだ、って方がいらしたら、適当を突き詰めてみたら、絶対おもしろいと思います。

 

そんな風に考えていってみると、もしかしたらエネルギーの使い方を間違って、ある特定のコミュニティなどに承認される事だとか、ただ注目される事だけへ注力してしまった時に、内輪ネタと呼ばれるのかもしれません。それが内輪ネタの正体なんじゃないでしょうか。あ、これは当たり前か。

もしかしたら、作っている本人も気づかない内に動機や目的がすり替わってしまっているのかもしれませんね。そういうことは往々にしてありますし。

でもそれだって、極限まで突き詰めれば面白い事になるんじゃないでしょうか。「内輪ネタをやりたいんだ!」っていう熱いパッションを持ってやってる内輪ネタなんて、なかなかないですしね。この辺りの事情だとか情熱の無さが、いつしか「内輪ネタ=悪」という図式を生み出したのかもしれません。

 

 

何にどれだけのエネルギーを注いだのか?

 

 

記事を書く時に、ちょっと胸に手を当てて考えてみれば、「内輪ネタ」だなんて言われなくて済むかもしれません。というか言われたって、胸張っていられますしね。

 

という、なんとも当たり前の結論で申し訳無さいっぱいです。

さて、果たして僕の注いだエネルギーは届くだろうか?

てなわけで、駄文かつ長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

 

*1:追記:1周間だと、10回も公演打てませんね。せいぜい6~8回。まあ、計算を簡単にする為だと思って下さい。

*2:一応フォローさせてもらえば、駆け出しの人間が発表している場合なんかもあります。それを止めろと言うのは表現の自由の観点から無理ですね。出来ることなら、上手くなってから表現してもらいたいですが、主体的に舞台を作る中でしか得られない経験もあるので、難しい所。成長を見守るのも、そのコミュニティを良くしようとした時には必要な我慢だとは思います。

広告を非表示にする
☆あの素晴らしい愛をもう一度
【ご覧のスポンサーの提供でお送りいたしました。】