どーでもイージー

面白くて笑えるコンテンツの泉、になったらいいなー。一言でも良いので感想や反応もらえると、励みになります。ホント、感想以外の報酬はほぼゼロなんで、感想乞食に一言お恵みを~!

スポンサーリング

内輪ネタと言われない方法ってないものか。

ここの所、はてな界隈で「内輪ネタ」がやんややんやと言われてますね。

内輪ネタという言葉の解釈の仕方について - 暇なアラサー主婦のひまな話

を読んで、ちょっとは笑いにかすってる話だから、俺も乗っかっていいんじゃねぇ?と調子乗って、筆をとった次第です。ちなみに、考えまとめようと思って書き出したら、なんか全くまとまりません(苦笑)なんとなくバカの脳味噌がグルグル回転してる様子を眺めて楽しんでもらえればそれが一番です。

 

さてさて、お笑いなんかでも、内輪ネタだとか楽屋落ちなんていうカテゴリーが存在してまして。過去に上演された歌舞伎の台本なんかにも楽屋落ちが書かれてたりするんですね。

 

【参考】

歌舞伎のおはなし 第126話 楽屋落ち

 

ざっくり申し上げると、当時の有名役者を引き合いにしたジョークを、あるストーリーの中に入れ込んでたりするわけです。まあ、後世まで文章として残ってる所を見ると、それで観客は喜んでたってことなんだろうと思います。

 

で、内輪ネタの話。

今回はてなでどうたらこうたらってのは、どうも釣り記事だとかオフ会だとかの事らしいですが、まあ、初めて2ヶ月立たない程度のにわかはてなーの僕からしたら、ぶっちゃけた所、そこで何がどうだったかとかそういう事には興味が薄くて、純粋に「内輪ネタ」に興味があるわけです。

 

前述したように、もう江戸時代から内輪ネタで楽しんでる人々がいたという事実からすると、どうにもテレビだとかはてなブログ界隈で言われている「内輪ネタ最低説」に違和感があるんですよね。それがいいとか悪いという事じゃなく、どうしてそんなに悪者になっちゃったのかなぁという点で。

だって、ある時期のとんねるずとか、名物プロデューサーパロディーコントみたいな事もやってたじゃないですか。あの時期に内輪がどうこうとか聞かなかった気がするんですよねぇ。まあ、僕が子供だっただけっていう可能性も否定はできませんけど。

 

さて。内輪ネタに対して、こう評する事もありますよね。

 

「面白ければいいけど」

 

それも一理あります。笑えればなんでもいいっちゃいいわけです。笑いが目的で作られたものであるならば、どんな高尚なものでも陳腐なものでも、目指す所は「笑い」ですから。笑えりゃそれでいい、ってのは一つあります。

ただ、これが困る所って、どんなくだらない内輪ネタでもハマる人が居ないとは限らない、と言うことですね。内輪ネタでも面白いと思う人が居ないとはいいきれない。

 

じゃあ基準として、多数の人が笑うかどうかでいいんじゃないか?という風に考える方がいらっしゃるかもしれません。でもですね、ちょっとここで一つ、あるケースを考えてみてもらいたいんです。

 

例えば、100人の観客がいるお笑いライブがあったとしましょう。

そこで、例えば3人しか笑わなかったネタが行われたとします。はい。当然すべったネタ、と思うじゃないですか?でもでもですよ、その3人が死ぬほど笑ってたらどうでしょうか?滑ってると言えるでしょうか?

そんな事起こるのか?と思われるかもしれませんが、人の笑いのツボなんて人それぞれです。実際、何度かそういう状態を目の当たりにもしてますしね。

逆に、80人ぐらいがうっすら笑ってる状態をウケてるとは言えないようにも思います。

 

まあ、100人が爆笑するのが一番なんですけどね。理想としては。でも経済の世界にだって、「マーケット」って言葉があります。需要と供給的な話ですね。コアな人間をターゲットにしたマーケットなんてのも、あって普通ですし、そのマーケット向けに商品を売ったり買ったりしてる人を指して「内輪!」なんて言わないわけです。その場合は、サブカルとか呼ばれたりしますよね。

 

じゃあ、なぜサブカルは許されて内輪ネタは許されないのか?

この辺が肝なんじゃないかと思うわけです。

 

この両者の何が違うのか?

先ほどのマーケットを引き合いに出せば、「商品を売るべき相手を限定しているか否か?」に違いがあるように思います。

サブカルは、サブカルが好きな人の為に、そこに絞って商品売ってる感じがありますよね。ところが内輪ネタって言われるような場合、売るべき相手を限定せずに、マニアックな商品を売っているんじゃないかと思うんです。

 

すげぇーカラフルポップなアロマショップかと思って入ったら、くさや専門店だった、みたいな。

 

そりゃ怒りたくなる気もわからなくはない。

最初からくさやショップだと教えてくれよ、と。せめて魚の看板掛けとけよ、と。先の歌舞伎の例にしても、「そういうもんだ」という共通認識の世界があって、その前提で楽屋落ちをやってるわけです。

 

売るべき相手の想定・特定、これが結構問題ですよね。だって、ウェブ上のブログですよ。不特定多数の人間がやってくる世界で、「誰それに向けて」なんて不可能なわけです。

 

そうなると、ブログで内輪と言われないためにできる事って何があるでしょう?

 

今日はもう脳味噌が溶けたのでここまで(笑)

 

【続き(大した内容ではない)】

内輪ネタと言われない方法ってないものか。【完結編】 - どーでもイージー

 
☆あの素晴らしい愛をもう一度
【ご覧のスポンサーの提供でお送りいたしました。】